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 ペルシャ絨毯の伝統と技術 

   イランにはペルシャ文化の伝統を引継いできた絨毯・金属細工・ガラス・陶芸などの手工芸品が多数あるが、その中でもっともすぐれたものの一つが絨毯である。絨毯そのものはトルコやパキスタンなど多くの国で作られてきたが、技術的にもっともすぐれ、変化に富んだデザインと芸術性で卓越しているのがイランのいわゆるペルシャ絨毯といってよい。下の絨毯をみるとその魅力を感じられるであろう。
   この絨毯はイラン南部のファールス州に住む遊牧民部族ハムセにより19世紀後半に作られたものである(イランのミーリー工房所蔵)。これを拡大して見ると、150年余り前の遊牧民ハムセの芸術的な伝統と世界観を感じることができる。ペルシャ絨毯をみる楽しみは、その美しさはもとより、高い能力によって織られた絨毯のなかに遊牧民や各都市の社会がもつ個性豊かな文化的伝統を感じることができるところにある。100年以上も前に作られた絨毯に引き付けられるのもこのためだ。

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327cm×224cm

《ペルシャ絨毯の歴史》

 バジリク

 

   手織りの絨毯には4000年の歴史があると考えられている。しかし、織られた絨毯としてもっとも古いのはモンゴルとロシアの国境付近のバジリク渓谷の古墳で発見された紀元前400年頃のものである。ノット数(後に説明)が高く模様も繊細で、バジリクと名付けられた。どこで生産されたものか、確証がないが道具、技術、伝統的な文様から鑑みイランと考えられている。

 都市の権力者による絨毯生産の保護

   絨毯生産はイランでもっとも盛んで、時代とともに技術的また芸術的に高められてきた。とくに16、17世紀にサファヴィー朝の歴代の王によって奨励され保護されたことで発展した。その最高峰とされるのが〔アルダビール絨毯〕である。アルダビールはカスピ海の西南に位置する都市で、イギリスの博物館に保存されている1539年に生産された絨毯は大きさが534×1152 cm、絨毯で有名な都市カーシャン出身の5人の織職人が3年の歳月をかけて完成されたものである。ペルシャ結び(後に説明)、羊毛製パイル糸、絹の経糸と緯糸で織られおり、平方メートル当たり51万8千ノットの密度である。
   京都の祇園祭の山車には古くからペルシャ絨毯が飾られているが、19世紀には西欧やその他の地域に輸出され、外貨の主要な獲得源でもあった。オイルショック後の1970年代においても石油を除くと貴重な輸出品が絨毯であった。このため絨毯のデザインは欧米の趣向を反映し時代とともに変化してきた。

 遊牧民の作る絨毯

   2003年に松涛美術館で「華麗なるペルシャ絨毯の世界」展が開かれた。展示された絨毯は100年以上前のものが多く、半分以上が遊牧民部族が織ったものであった。当時は人口の4割ほどが遊牧民であり、都市の工房と遊牧民が絨毯生産の主役であった。文様は幾何学的なものが多く、遊牧民の絨毯にはヤギ、鳥、ラクダなどの動物をモチーフとしたものもみられ、一方、都市の工房で作られるものは、花やつる草がからんだ文様のものが多い。また赤、青、黄色などの色が深く複雑に染められていた。

《絨緞の生産地と名称》 

絨毯は、製造された場所(地域、都市)や部族グループによって柄やモチーフまた色彩に特徴がある。これはイランの歴史を引き継ぎまた民族的・文化的な多様性を反映している。このため地域や民族の個性が象徴的に表現される絨毯にはそれぞれに名前が付けられている。

生産国名:絨毯は多くの国で作られており、国名で区別される。
      イラン、アフガン、インド、パキスタン、トルクメニスタン、トルコなど。

生産地名: 特産地である都市や地方で区別され、高級絨毯には都市名のサインが刻まれている。
イラン:イスファハン、タブリーズ、ケルマン、カーシャン、ナーイン など
トルコ:ヘレケ(イスタンブールの近く)、カイセリ など

民族名、遊牧民部族名:遊牧民が作った絨毯は部族名で呼ばれる。
      カシュガイー、ハムセ、バフティアリー、トルクメン、バルーチなど

資料・地図

各都市や遊牧民部族による絨毯文様の特色(例)

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《絨毯の織り方》

   「織る」と言う言葉で日本人がイメージするのは経糸と緯糸を交差させた平織の織物だが、ペルシャ絨毯は経糸と緯糸の他にパイル糸を使い、パイル織を特徴とする。下図はパイル糸を経糸に結ぶ結び方を示している。結び方は2通りある。
  ペルシャ結び 2本の経糸にパイル糸を非対象にS字に絡ませていく方法
  トルコ結び  2本の経糸の周りを一本のパイル糸で結ぶ方法
トルコではトルコ結び、イランではペルシャ結びが多いが、イランの西部のトルコ系の人たちがすむ地域ではトルコ結びが多いといわれている。

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 絨毯を織る作業の手順

   ①まず経糸が張られた端から、経糸2本ずつにパイルをからませナイフで切る。これを横一列繰り返していく。
   パイル糸を絡ませる作業はペルシャ結びでは人の指先でおこない、このため指の細い女性が適任である。効率的に作業を行うためにかぎ針(フックバフテ)を使うこともあり、とくにトルコ結びではかぎ針を使うのが一般的である。かぎ針を使うと質はともかくスピードが速く、男でも作業を行うことができる。

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   ②パイル結びの作業が横一列終わると、太い糸と細い糸の2本の緯糸を交互に入れ、結んだパイルを鉄櫛(シャーネ)で強くたたいて目を詰め、ハサミでパイルの長さを揃える。これを裏から見ると小さな点の並びに見える、この一つの結びをノットという。
   ノットが密な方が絨毯の腰が強く高級品になる。もっとも高級か否かはノット数だけでは決まらない。デザイン、色、織りの技術、また文様などが地域の伝統をしっかり引き継いでいるかも評価の基準になる。パイルを結んだあと2本の緯糸を入れるが、3本以上の緯糸を入れることもある。緯糸の本数が多いと絨毯は腰が弱くなる。

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絨毯の表と裏      左の絨毯はイラン南部ファールス州の遊牧民定住村の女性によって織られたもの。経糸に羊毛が使われており、目が粗くノット数は20、一目で高級な絨毯でないことがわかる。右の絨毯はイスファハンのもので経糸に木綿が使われており、ノット数は50以上ある。

《ノット( 結び )と糸》

   ノット

   ノットはパイル糸の一つの結びのことであり、緻密であるほど高級とされる。この基準となるのが1㎠ 当たりのノット数(結び目の数)で、1㎠に60個以上(1㎡で60万ノット)の結び目があると高級品の部類に入るとされる。ノットの細かさが絨毯の評価の目安になり、これは絨毯の裏をみると容易にわかる。手織りか機械織りかも裏を返すと確かめられる。機械織りはノットの印となる点がないためすぐに判別できる。

   ノット数は絨毯が完成するまでの労働時間と比例し、多ければ仕上がりまでの日数を多く必要とする。一般に熟練した織職人が結ぶことができるノット数は、一日1万2000前後といわれている。これで計算すると、ノット密度が㎠ 当り50個の場合、300×400 cmの大きさの絨毯でノット数は600万、織りあがるまでの日数は500日になる。ノットの密度がより高くなると織りあげるまでの日数はさらに増える。イランのバザールで絨毯の価格を聞くと、数百万円するものが多い。織りあげるのに必要な日数を考えると決して高くないことがわかる。もっとも交渉で値段をかなり引き下げることができる。

絨毯に使う糸

   絨毯生産には、経糸、緯糸、パイル糸を使い、素材は羊毛、木綿、絹があり、その組み合わせは様々である。都市の工房では 経糸と緯糸に木綿を使うことが多いが、地方によっては木綿に加えて絹を使うこともある。また経糸と緯糸で木綿と羊毛の異なる糸を使うこともある。一方、遊牧民は経糸、緯糸ともに羊毛を使う。遊牧を生業とする彼らにとって羊は身近に存在する生活の糧であり、食・住ともにその生産物に依存してきた。緯糸と経糸の素材はノットの密度に直接関係しないが、ノットの非常に高い絨毯では羊毛より木綿が使われている。
   絨毯生産に使う糸の量の70%ほどがパイル糸である。パイル糸には羊毛と絹が使われる。しかし絨毯は敷物でありその用途から柔らかで厚みがある羊毛が一般的である。羊毛の絨毯は使っていくうちに色が落ち着いてくる。このため中古も値があまり下がらない。パイル糸に絹を使うとノット数を密にでき繊細な絵柄を織るのに適している。だが薄く肌触りが冷たく、壁掛けにはいいが敷物としては羊毛の方が優れている。

絨毯の主要な産地で使われるパイル糸と経糸の素材

産 地 パイル糸 経 糸
イスファハン 羊毛 絹(古いものには木綿が多い)
タブリーズ 羊毛 通常は木綿、高密度は絹
ナーイン 羊毛 羊毛パイルでは木綿、まれに絹、絹パイルでは絹
カーシャン 羊毛・絹 羊毛パイルでは木綿、絹パイルでは絹
マシハッド 羊毛 木綿

《絨毯生産のシステムと工程》

   絨毯生産の技術は、都市などの工房で作られるものと遊牧民の主に女性によって作られるもので違いがある。絨毯を特産品とする都市にはたくさんの絨毯工房があり、遊牧民や村の絨毯よりも管理された環境で製造されてきた。絨毯のデザインは専門のデザイナーによって方眼紙上に描かれ、糸の染色も工房の生産工程の一環として行われる。そして工房内の織り職人はこの図案をみながら絨毯を織る。織り職人を工房外の一般の家庭に抱えている場合もある。規模の大きな絨毯工場は経営者が職人を雇用する工場制手工業の特徴をもつ。また地方によっては小さな工房で農村の年少者を低賃金で雇う形態もみられる。

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   絨毯生産にはもう一つ問屋制手工業というべきシステムがある。これは工房や商人が都市や農村の人たちに絨毯生産を任せるものである。トルコ中部の都市カイセリ近郊の村ハジュラルの事例では、カイセリの絨毯商人が織機、糸、絨毯の絵柄を描いた用紙を農家に貸与し、農家の女性が自宅の一角で絨毯を織った。商人は織り職人でもある女性に指示をして作らせ製品を独占的に買い上げた。

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   織機はおもに立型の垂直織機で、工房に設置された織機は固定され頑丈で比較的大きい。このため大形の絨毯の製造も可能である。しかし商人によって農家などに貸し出された織機は比較的小さなものであった。

《遊牧民定住村の絨毯生産》

   農村や遊牧民の絨毯生産は都市の工房と大きく異なる。これをイラン南部の遊牧民定住村の1970年代の事例でみよう。村では絨毯は家庭の主に女性によって織られた。分業が都市の工房と比べると進んでおらず、生産の工程のうち染色を除いてすべてが村の住民の手で行われた。まず羊の毛を刈り、これを洗って伸ばし、紡いで糸にする。これらの作業は村で絨毯を織る女性またその家族によって行われた。

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   村では、都市の工房と異なり水平織機を使い、また方眼紙に書かれた絵柄をみながら織ることはない。絵柄と色彩は母親から娘に受け継がれ、記憶をたどってパイルを結ぶ。結婚すると嫁ぎ先の絵柄を引き継ぐことが多い。このため絵柄は比較的単純であり村の中、また近隣の村で 似たものが多い。

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   絨毯は農家の貴重な収入源である。多くは村を訪れる絨毯の仲買人に売られるが、彼らは品定めし瑕疵をみつけて買い叩く。
   遊牧民定住村の場合、絨毯生産の技術や絵柄は遊牧民時代の伝統を引き継いでいる。水平織機も遊牧民の特徴である。組み立てが容易で移動生活に適した簡便な織機であり、移動するときにラクダに積み、宿営地で組み立てた。定住化が進んで遊牧民の数は大幅に減少したが、定住村でも伝統を引き継ぎ水平織機が使われた。

   染 色

   洗い:染料が繊維に馴染むように染める糸の油脂肪分や汚れを取り除く。
   染色:糸を染料につけ、完全に着色されるために染色釜に繰り返し浸す。
               繊維に色を定着させるため媒染剤の溶液に浸す。
   洗い:染色した色を安定させる。

         天然染料として使う植物(現在はほとんど使われない)

赤・ピンク 西洋茜
紺・青
藍とエスぺラク(植物の花)
黄(マスタード色) エスぺラク、ウコン
黄(淡) ザクロの皮
こげ茶・茶 クルミの皮

   19世紀まで天然染料が使われていた。1856年にイギリスで合成染料(アニリン染料)がつくられ化学染料が普及して天然染料は使われなくなった。しかし、化学染料では繊細な色を表現することができず褪色しやすいために禁止され使わなくなる。現在用いられているのはクローム系染料で比較的退色しにくい。

《デザイン・文様》

   絨毯のデザインは、曲線的、幾何学的、具象的の3つに分けられる。都市の工房では、伝統的なデザインやモチーフの開発に時間をかけている。現代の都市の特産地ではつる草文様が絡む細かく曲線を描くような図柄が多い。一方、遊牧民の織る絨毯は直線で描かれる幾何学的デザインで、ヤギ・鶏・ラクダなどの動物がモチーフとなることが多い。しかし遊牧民の数は急激に減少し、19世紀末に人口の40%ほどを占めていたが現在は1、2%に過ぎない。
   具象的デザインは人々や動物が描かれる。それらは歴史や神話に基づいていることが多いが、イスラム教では生き物を描くことがタブーとなっているため多くはない。

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   メダリオンはペルシャ絨毯で最も多く見られる文様であり、その代表がコーナー・メダリオンというデザインである。この基本形は、中央に1つメダル様の大きな文様を置き、4隅のコーナーにその文様の4半分のパターン、また類似のデザインを配したものである。

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   絨毯とイラン人

イラン人にとって絨毯は日々の生活に欠くことができない。絨毯の上で食事し、語らい、遊ぶ。戸外で座って食事しお茶を飲むときも絨毯の上である。絨毯は彼らの落ち着く空間であり生活そのものといってよい。筆者も絨毯の魅力にとりつかれた一人の日本人であり、日々絨毯の上で暮らしている。

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参考資料:「華麗なるペルシャ絨緞の世界」、松濤美術館2011
             「アジア読本 イラン」河出書房新社1999、その他
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